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シュレディンガーの箱を抱きしめて

てみる屋への注文メールが届くと「今度はどうか高価な楽器を買ってくれますように…っ」と祈りながら開封します。それは千円の笛のときもあれば、たまにはほんとうに10万円以上もする大きな太鼓だったりするのですが。そもそもメールが届いたときには注文の内容は既に決まっているわけで、だから祈ったからといってどうなるものでもない。我ながらナンセンスなことをしているとは思いますが…注文メールが届くとやっぱりいつものように祈ってしまいます。

ひよこが出来るかまんじゅうが出来るか、開けてみるまで結果は分からない。
考えてみるとまったく不合理なのですが…人間にとってわりと当たり前の感覚ではないでしょうか。うーんむしろ、こんな不合理なことを当たり前だと思いこんでいて、なぜ日常生活に支障が起こらないのか、そっちのほうが不思議に思えてきましたよ。

『シュレディンガーの猫』でしたっけ。
「箱を開けるまで猫の生死は決まらない」みたいな。いや「箱を開けるまで猫は死んでいて同時に生きている」でしたか。「そんなおかしなことはあり得ないから、人間が観測するまで量子は存在していて同時に存在していない、なんて主張はおかしい」といったふうの反論だったと記憶しています。

楽器があればもっと楽しい毎日
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